上野裕一郎は立教大学陸上競技部男子駅伝チームの監督でした。
昨年10月、不適切な行動により、立教大監督を解任されました。
2018年12月から2023年10月まで立教大学陸上競技部の長距離男子監督を務め、
同校を55年ぶりの箱根駅伝出場に導いた優秀な指導者でした。
その彼は、今一度、選手として復帰し、陸上に携わる道を選んだ。
上野裕一郎が『走る指揮官』といわれる理由はなんですか?
上野裕一郎が『走る指揮官』といわれる理由は、彼が試合中に積極的にフィールドを走り回り、
チームメートに指示を出し、リーダーシップを発揮する姿勢からです。
彼は、自らも走ることでチームを鼓舞し、戦術的な指示をリアルタイムで行うことができるため、
このように呼ばれています。
また、彼の指揮能力と高い身体能力が融合し、プレーと指示を両立させるスタイルが称賛されています。
上野裕一郎はなぜハローワークに行ったのですか?
職を失い、マンションに引っ越しました。妻に『バイトでもいいから働いてほしい』と言われ、家族を養わないといけないと思ったので、ハローワークに通いました。
仕事は、運転ができるし、ドライバーはけっこう稼げるので配送業がいいかなと思いつつ、
自分が携わって来たスポーツ関係の仕事を探していました。
マンションに戻ると、頭に浮かぶのは陸上のことばかりだった。なんとか、陸上をもう一回やれないか。
ただ、一方で指導者の芽はもうなく、自分は陸上界に戻れないだろう――。猛烈な後悔と寂しさを感じた。
上野雄一郎の経歴は?
学生時代
- 長野県佐久市出身
- 佐久長聖高等学校では全国高校駅伝に出場
- 中央大学に進学し、駅伝王国のエースとして活躍
- 2001年、箱根駅伝で3区区間賞を獲得
- 2002年、大学4冠を達成
- 2003年、世界陸上選手権男子5000mに出場
実業団時代
- 2004年にエスビー食品に入社
- 2009年に第93回日本選手権1500m・5000m2種目制覇
- 2011年にDeNA陸上部に移籍
- 2012年に現役引退
指導者時代
- 2013年に立教大学陸上競技部男子駅伝監督に就任
- 2018年に立教大学を55年ぶりの箱根駅伝出場に導く
- 2024年現在も立教大学陸上競技部男子駅伝監督を務める
代から駅伝ファンに人気の高い選手でした。引退後も指導者として活躍し、多くの選手を育て上げています。
主な功績
- 2001年 箱根駅伝 3区区間賞
- 2002年 大学4冠達成
- 2003年 世界陸上選手権男子5000m出場
- 2009年 日本選手権1500m・5000m2種目制覇
- 2018年 立教大学を箱根駅伝55年ぶりの出場に導く
その他
- 2020年に一般社団法人「陸の夢プロジェクト」を設立
- 陸上競技の普及活動や、次世代の育成に力を入れている
まとめ
立教大学陸上競技部の長距離男子監督を不適切な行動により解任されたことが大きくとりあげられているが、
彼の陸上に関わりたいという思いが本人の言葉からうかがえます。
また、教え子たちにどう思われていたのかも。
<最初は『何やってんだ』と思いましたけど、ここまでチームを作ったのは間違いなく
上野監督だったので感謝しています>
<監督と一緒に箱根を目指してやってきて、最後は一緒に卒業したかったです>
多くの部員が、上野がチームを育てた手腕を認め、感謝していた。
「厳しいコメントもありましたけど、学生たちがそういう気持ちでいてくれて、
僕はこの子たちと一緒にやれてよかったと思いました。
でも、『本当に申し訳なかった』と、やっぱり直接言いたかったです」
このまま、頑張っていたら当時の教え子たちと話す機会もあるかもしれません。頑張ってください。
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